【文京区】傳通院・伝通院・日本指圧専門学校【小石川】
こんにちは(´・ω・`)
今回はまずここへ
傳通院(伝通院、でんづういん)は、東京都文京区小石川三丁目の高台にある浄土宗の寺。正式名称は、無量山 傳通院 寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)。または小石川伝通院とも。徳川将軍家の菩提寺。江戸三十三箇所観音札所の第十二番札所。「でんずういん」とも書かれる。Wikipedia参照
徳川将軍家の菩提寺だったり、永井荷風の随筆【伝通院】の作内で
「パリにノートルダムがあるように、小石川にも伝通院がある」
と賞賛したり、夏目漱石の【こころ】でも少し出てきます。毎年朝顔市が夏に行われます。
すぐ隣の塔頭処静院では新選組の前身である浪士組が結成され、清河八郎を中心に近藤勇・土方歳三・沖田総司ら250人が集まったりしてるそうです。新選組ファンの私は、こっちを楽しみに来たのですが、写真がブレて写りが悪いので後日、改めて再アップします。
それではまず春日通り【伝通院前】の交差点側から入り、山門です。
山門をくぐり、左手側には法蔵地蔵尊
境内左側にある金仏様です。中央のご本尊は法蔵地蔵尊、脇待は、向って右が観世音菩薩、左が勢至菩薩です。 このような組合せの三尊はあまり外に例を見ないが、このお像は本来、法蔵菩薩から仏となられた阿弥陀様が、大衆信仰として親しみ易いお地蔵様の姿をもってお出ましになった仏と思われる。 (当初は三体共立派な光背があったが、現在は失われている)※公式ホームページより引用
隣には浪越先生が寄贈したとされる指塚
その先には鐘楼堂
この鐘は天保10年(1839年)の物らしいです(´・ω・`)
反対側へ行くと、如是我聞碑
太宰治かなぁと思っていたら全然違いました。
書者:中村素堂(1901~1982) 書家・歌人 大正12年貞香回創立。毎日書道会名誉会員・大正大学名誉教授・新文人主義仏教書道を提唱、書道・仏教・教育界に活躍する門人が多い。遺作は各宗寺院が収蔵。遺品は江戸東京博物館に寄贈。昭和57年仏教伝道文化賞受賞。※公式ホームページより
昭和63年建立の本堂
反対側から
再建された山門 昭和20年(1945年)5月25日のアメリカ軍による空襲で小石川一帯は焼け野原となり、伝通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失した[2]。かつての将軍家の菩提所としての面影は完全に消え去った。昭和24年(1949年)に本堂を再建。現在の本堂は、昭和63年(1988年)に戦後2度目に再建されたものである。※Wikipedia参照
割と最近なんですね。
ちなみに山門は平成24年に再建されました。なんとなくですが覚えてます。
奥には、徳川家をはじめ著名な方たちの墓地があります。
境内からみた山門
をでて、マンションを挟んで隣の隣にある、日本指圧専門学校へ
「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」
浪越徳治郎先生の有名な言葉です。
先生の胸像
天才・たけしの元気が出るテレビで良く見てました。
テルマエ・ロマエII - 2014年公開映画。劇中に浪越をモデルとした「浪越徳三郎」(演:菅登未男)が登場する。また、孫の浪越雄二が「指圧指導」としてスタッフに参加している。※Wikipedia参照
この後、すぐそば分譲マンションの調査をして帰りました。
弊社ホームページをご確認下さい。